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広島研修を通じて悟ったもの - 咸炫周 (Ham Hyun Ju)

広島といったらただ昔原爆の被害を受けた都市として認識していた。特に行きたい都市でもなかった。大都市を味わいたいなら東京に行けばいいし伝統を感じたいなら京都に行けばいいからだ。しかし広島は広島ならではの魅力があって、また習うことも多かった。蒸し暑い広島の真夏、研修を通じて私の進路が少しはっきり見えてきたし、またわれわれが世界人としてこれからどうするべきか悟ることができた。とても貴重な経験だった。

多分韓国人が広島って言ったら原爆を思い出す。アメリカが原爆を落ちて日本は降伏、その後韓国の独立。歴史を少しでも習った韓国人なら広島をこういう風に歴史のなかで犠牲された、いや、韓国人にしては当たり前の罰を受けた都市として知っている人が多いだろう。私も同じだった。原爆は当たり前の罰だとそう思っていた。今もその考えが完全に変わったわけではない。それでも確実に分かったものがある。それは原爆だ 核兵器、原子爆弾、全部私には遠い話した。常に核兵器だの爆弾だの言っていたが本当の原爆の恐ろしさは分からなかった。

原爆の被害をそのまま展示していた展示室に入っていろんなものを見るときそんなに生々しく感じられなかった。すべてが私には遠い話しに感じられた。しかし写真を見る瞬間、一瞬何もかも考えなくなった。何もかもなくなっている町のなかひどく火傷をした人々の姿は見るに耐えないものだった。その写真を見る瞬間だけは被害者が日本人だろうが韓国人だろうが関係なかった。ただ多くの人間がそんな悲惨な目にあったのがかわいそうだった。

私は原爆が直接地面まで届くものだと思っていた。しかし原爆は空中で爆発するものだった。それが一番効果的に被害を与える方法らしい。そしてその原爆を広島の人々はぴかどんと呼ぶらしい。最初に聞いた時は変な名前だたな~と思った。しかしなぜそんな名前で呼ばれたのか理由を聞いたときはさすがにびっくりした。ぴかどんが名前そのものだった。ぴかは何かが光るという意味でドンは何かが爆破する音だった。下で原爆の被害を受けた人が感じたものをそのまま表現する言葉だった。常に使っている原爆という言葉より何倍も生々しく感じられた。

原爆が落ちた日を原爆の日にして毎年平和公園では追慕式が開かれる。そこでは同時広島でなくなった二三万人の韓国人を哀悼する式もまた開かれた。そんなに多くの韓国人がなくなったとは考えたこともなかった。地元に戻れることすら出来ず日本でなくなった韓国人。今までその事実を知らなかった私がとても恥ずかしかった。

追慕式当日は安部総理、バンギムン国連事務総長が演説をした。追慕式の故ちょっと重い雰囲気もあったけど全体的に平和を望む明るい雰囲気だった。もう二度と同じ過ちを繰りかえさないようにみんなが努力すること。それこそ本当の平和えの道ではないかと思う。韓国も北朝鮮との対立で常に緊張している。いつ何がおきるか分からない不安な状態である。韓国だけではない。西南アジアでは今も戦争、紛争が続き、多くの人が命を失っている。その中で私たちがすることはもう決まっている。平和公園で誓った地球上の完全な平和のために頑張ること、それが直接戦争の恐ろしさを体験しなかった私たちと未来の世代がやり遂げるべきものだ。

今も核兵器根絶のために多くの人々が頑張っている。いつになるかがまだ知らないが完全な平和はきっといつかはくると信じている。

私はむかしから私と同い年の外国人に会って意見を交換してみたかった。そして今日の研修を通じてその願いをかなうことが出来た。女学院高校で交流会が開かれたのだ。みんなの話す時間はあまりなかったけど十分学生の平和への念願を感じることが出来た。いろんな学校から学生がきて発表をしたり伝統の踊りを習ったりした。特に発表はいろんな学生の経験や意見を聞けることが出来てとてもよかった。特に平和のためにはまず小さなことからはじめるべきだと考え、地元で奉仕活動をした学生たちを見てとても感動した。私たちは平和といったら大げさなことを考える。しかし私たちは高校生だ。本当に何かをしたいなら私たちの出来ることからするべきだと思う。その学生たちはそれを自ら実践した。勉強で忙しい韓国人の高校生の状況が思い浮かぶと感動と一生にとてもうらやましかった。意味のある高校生活は勉強を頑張るだけでなく高校のときしか体験できないことをすることだと思う。私たちも少し余裕があったらいいなと思った。

女学院のあと私たちが向かったのはメリハウスを言う療養所だった。私は行く前にちょっと緊張していた。むかし療養所に行った時、その重い雰囲気でとても気分がよくなかったからだ。病で苦しんでいるとか家族に会いたがっている老人をまた見るのかと思ったらあまり行きたくなかった。しかしメリハウスは私の考えている療養所とはまったく違う雰囲気だった。高層ビルでプール、美容院、トイレも左手用と右手用が分かれていて麻痺された方もトイレを利用できるように細かくなっていた。病院も歯科が別になったいてとても驚いた。療養所って言うよりはホテルみたいだった。みんなが幸せに過ごせるメリハウスという名前その通りだった。もっと驚いたのは韓国人のカンインスさんがそのメリハウスを建てたということだった。彼は幼い時から日本に住んでいて医者になって人々を助けるのが夢だったらしい。しかし建てた病院が破産し深い絶望に落ちた彼は絶対諦めず、結局、人たちを助けたいという信念をもってメリハウスを建てたらしい。もし私だったら夢を諦めて別の仕事を探したかもしれない。いやほとんどの人が自分の夢を諦めてしまう。私はカンインスさんをみてこれからつらいことがあったも絶対諦めず前に進むと決心した。

私は韓国の大学と日本留学の間でひどく悩んでいた。学校の先生はみんな国内の大学の方を推薦した。結局私は韓国の大学にいきことにした。しかしいつも日本の大学に行きたかった。でも先生に言う自身がなくてずっと諦めていた。それが今年堂々と先生に日本の留学の準備をしたいと話した。いつも安定的な道を歩いていた私が始めてその道を外れて自分で道をつくりはじめた。しかし問題がひとつ残っていたそれは韓日関係のために何が出来るのかだった。私は通訳士になりたがったけどそれよりもっと直接韓日関係に役に立ちたかった。結局言葉を探せないままこの研修に参加した。私たちをガイドしてくださった方々はnpoで働いていらっしゃった。私たちの研修のガイドだけではなく韓日関係のためにいろんなことをしていらっしゃった。私も将来あんな仕事をしたいと思った。ようやく私の進路が見え始めた。

これから大学の準備もあるしいろいろと大変なことが多いだろうけど夢を決めたい上それをかなうために一生懸命頑張りたい。

広島での思い出 - 李地城 (Lee Ji Seong)

私は今年の7月に韓日協会が主催した日本語学力スピーチ大会に参加した。自分の日本語能力を知りたいという理由もあったが、上位の5人の学生は日本に行ける、ということがすごく魅力的だったからだった。参加したみんなのスピーチが終わり、結果が発表された時、私は上位の5人の中にはいっていなかった。惜しいと思いながらも仕方ないとあきらめていたが、数日後、韓日協会から電話が来た。入賞者の一人が日本にいくことを私に譲ってくれたという内容だった。そのことにも私は驚いたが、さらに驚いたのは譲ってくれた人も行けるようにしてくれた韓日協会の広い心だった。そして本当にありがたいと思った。こうして、私は8月4日から8月8日までの日本研修に行くことになった。

研修の一日目は、空港に早く行かなければならなかったため、朝の4時に起きて出発した。朝に弱い私にはきつい時間だったが、日本に早くつき、いろいろなことを経験できると思って頑張った。日本に到着した時、駅で韓日親善センターなどのたくさんの日本の方々が私たちを迎えてくれた。研修の5日間、広島のいろいろな場所を、私たちに暖かく案内してくださった方々だった。そのあと、みんなが早く起きて疲れていたため、「安佐動物公園」にいき、韓国では見ることのできない様々な動物を見て、日程を終えた。そして宿舎である「広島青少年文化センター」に行った。

研修の二日目には、まず、「広島平和記念公園」という場所へ行った。その中にある原爆資料館で原爆の被害と危険性、核兵器の恐ろしさ、そして平和の大切さなどを資料をみることで学ぶことができた。私はもう一人の学生とともに私たちの日本研修を記録するDVDの進行役をまかせられていて、そこで研修のみんなにインタビューをしたり、逆に質問を受けたりもした。それは今までなかった経験で、この研修で韓国と日本が私たちに教えてあげようとするものがなにかわかった気がした。

 次に私たちは「韓国人慰霊碑」という、原爆で亡くなった二万人の韓国人の霊を慰めるための場所に行った。私たちがついたときにはすでにたくさんの韓国の方々が集まり、式を行っていた。そこで、原爆で亡くなった人たちのためにも、戦争のような悲しい出来事が起きるべきではないと思った。日本に留学のために来ている韓国の学生の人たちも、インタビューでわたしが考えたことと同じ内容で答えていた。平和を望む気持ちは皆同じだと、感じることができた。

 その次にはRCCという放送局に行った。そこで放送に関する様々な設備を体験したり、説明を聞いたりした。韓国の放送局は一般人は入れない、という認識があった私に、直接説明をして、質問にもやさしく答えてくださった職員の方々はちょっと衝撃的だった。そして韓国もRCCのように放送に関する体験ができるようになったらいいと思った。

 またその次には広島城に向かった。本当の広島城は原爆でなくなったため、私たちが見たのは時が過ぎて作り直した広島城だそうだった。そこで私たちは日本の刀や甲冑などを見ることができた。なによりも印象深かったのは城と昔の主に関する情報で、それを見て日本の歴史を学んだ。そしてその日で見たものの中で一番重要とも言える原爆ドームを見た。あちこちに散らかっている瓦礫の破片や骨だけが残った建物が、まるで戦争の残酷さを、68年の時を越えて私たちに教えてくれるようだった。そのあとには、町の本通りを見て回ったり、お好み焼き店がたくさん集まっている「お好み焼き村」に行ったりした。私たちが行った店は韓国の人が運営している店で、いろんな話を聞くことができて楽しかった。

 研修の三日目のは原爆が投下されてから68年になる日だった。そして原爆死没者慰霊式が行われる日でもあった。私たちはもう一度平和公園に行き、そこに参加した。総理大臣も参加するほどの全国的な規模の式で、たくさんの人が集まっていた。そのあと、私たちは「縮景園」という場所に向かった。景色を縮めた庭園という意味で、縮景園は今まで見学した場所とは違い、自然のうつくしさを感じられる場所だった。縮景園を一通りまわってからは、茶道体験をした。茶の葉を粉にして、それを水に混ぜた「抹茶」を直接つくり、飲む体験だった。はじめは苦かったが、飲んでいるうちにだんだん味になれてきて、最後には美味しいと感じるようになった。

次には、「宮島」という場所に向かった。その島について何も知らなかった私は、島についたとき、町を自由に行き来している鹿に本当に驚いた。服や紙袋などをかまれたり、なめられたりもしたが、すごく新鮮でおもしろい経験だった。その後、弥山という山にロープウェーで行った。そこで見た景色があまりにも美しくて、たくさん写真を撮った。最後に厳島神社に行った。大鳥居が海が押し寄せてくることによって、下まで行くことができたり、できなかったりすることが不思議だった。そして夕日の光を反射して輝く海もきれいだった。

 4日目の日は実質的に最後の日だった。起きてすぐに、広島女学院高校での交流会に参加した。日本各地からもたくさんの学生が集まり、ハワイから来た高校生たちも平和に関する発表をした。そこでの発表は英語で行われたが、日本の学生も英語がすごく上手で、驚いた。そのあとに約10分の短い間に交流会があったが、そのとき、日本の学生たちといろんな話をしたのが今回の日本研修で一番良い経験だった。次にメリィ•ハウスという、韓国の人が運営する介護施設に訪れた。カン・インス理事長から人生に関するいろいろな助言を聞き、私も改めて自分の人生の目標を決めようーと思った。

4泊5日間の広島研修はこうして終わった。韓国に帰りたくないほど、研修が楽しくて、広島での日々は本当に忘れられない思い出になったと思う。日本でたくさんのことを教えてくださった、吉崎さんと岡崎さん、あれだけ暑かったにもかかわらずカメラを持って撮影してくださった、古本さんや玉木さん、引率者の皆さん、いっしょに広島を見て回った9人の友だち。 忘れられない思い出をくれて、本当にありがとうございました。

広島での忘れられない5日間 - 文鐘赫 (Moon Jong Hyuck)

  僕は7月の日本語学力スピーチ大会で入賞し、8月4日から4泊5日間広島へ研修に行くことになりました。入賞した時からすごく研修を楽しみにしていたので、研修の前日、みんなゲストハウスで揃った時はもう日本に行きたくて堪らなくなってしまうほど僕の胸はときめいていました。そして、この研修をきっかけにたくさんの新しい友達に会いたいと思いました。

研修の初日、午前4時に起きるのは少しつらかったですけど、早く日本に着いていろんなことを経験したいと思いながら元気を出しました。やがて広島駅に着いたとき、広島韓日国際交流センターや日韓親善センターなどから来られた方々が僕たちを温かく迎えてくださいました。僕たちは5日間この方々の世話になり、広島についていろいろなことを学ぶことができまいた。一方、初日はみんな疲れたので、「安佐動物公園」へ行き、さまざまなかわいい動物たちを見てからすぐ宿舎の広島青少年文化センターへ向かいました。

研修の2日目はとても忙しかったです。まず僕たちは広島平和記念公園へ行きました。原爆資料館で広島へ投下された原爆やその影響についてのたくさんの資料を見て、平和の大切さ、原爆を含む核兵器の危険性、そして数多くの人々に深い傷をつける戦争の残酷さについて学ぶことができました。資料館での見学が終わってから向かったのは、ヒロシマ原爆で亡くなった約2万人の韓国人の霊を慰める「韓国人慰霊碑」でした。68年前投下された一発の原爆によって亡くなった20万人の死没者の約1割が韓国人であるということは僕にとって大きな衝撃でした。僕はそこで、戦争の残酷さに再び気づき、もう二度とこのような悲劇が起きないよう祈りました。

次に行ったのは「中国放送RCC」。そこのラジオブースやテレビ番組のスタジオでいろいろな放送の設備についての詳しい説明を聞くことができました。韓国でも放送局で見学をしたことがないのに、日本でいろいろな放送の設備を身をもって体験するなんて、とても嬉しかったです。すごく楽しかったRCCでの見学を後にして向かったのは、すぐ隣の広島城でした。広島城は戦国時代に毛利氏によって建てられた城ですが、やはり原爆によってすべて破壊されてしまいました。今の広島城は1950年代に鉄筋コンクリートで再建されたものだそうです。僕は広島城で広島の歴史についていろんなことを習うことができました。その後着いた場所は、広島の名所として欠かせない、世界文化遺産の「原爆ドーム」でした。この研修のずっと前から広島のシンボルとして僕の印象に深く残っていた原爆ドームを実際に見たら、写真や本では見られなかったいろいろなものが見つかりました。散らかっている煉瓦や瓦礫、黒い壁など…。原爆が残した傷は68年が経った今も広島のあちらこちらに散らばっていました。一方、僕たちが広島で観光ばかりしたわけではありません。本通りを歩きながらショッピングもしたり、夕食はお好み村でおいしいお好み焼きもたくさん食べたりしながら、広島での一日を楽しむことができました。

3日目は僕にとってこの研修のハイライトだと思います。まずあの日は広島原爆投下から68年になる日だったので、もう一度広島平和公園へ行き、原爆死没者慰霊式や平和祈念式に参加しました。日本の総理大臣も参加するほど全国的な規模の行事なだけ、数万にもなる人混みが平和公園に集まりました。厳粛な祈念式を後にして、僕たちは「縮景園」へ向かいました。縮景園はとても美しい景色で僕たちを魅了しました。美しい竹林、小さな島のある池、高さ9mの富士山など、「景色を縮めた庭園」という名前のとおり、さまざまな日本の景色が見られました。でも、縮景園内の慰霊碑は原爆がこの庭園にも影響を与えたということを僕らに教えてくれます。こんなに美しい庭園も原爆に破壊されたなんて、信じたくありませんでした。一方、縮景園での茶道体験を通じて僕は日本固有の文化を経験することができました。「抹茶」というお茶を飲みましたが、とても濃くてちょっと苦かったですけど、香りがすごく良くてとてもおいしかったと思います。縮景園で茶道体験が終わった後、僕がとても楽しみにしていた「宮島」へ行きました。宮島厳島神社の大鳥居は僕が日本語を勉強する前から本当に見たかったものだったので、すごく嬉しかったです。船で宮島に着いたとき、たくさんのシカたちが島を自由に歩いているのを見てとても驚きました。シカたちはとてもおとなしくて人が近づいても驚いて逃げてしまうこともなく、むしろ人々にお菓子などの餌をねだりました。その後、弥山という山へロープウェーで行きました。獅子岩という岩へ行くと、美しい瀬戸内海が見渡せました。晴れの日は四国まで見渡せるそうですけど、あの日は見えなくて残念でした。ついに厳島神社に着いたのは夕暮れのときでした。干潮だったので大鳥居の近くまで歩いていくことができました。近くで見た大鳥居は本当に美しかったです。やっぱり日本三景らしい、と感心しながら思いました。神社のおみくじで「吉」が出てさらに嬉しかったです!あの 日の疲れやストレスが宮島で全部解消されるような気持ちでした。

4日目。明日はみんなと別れて韓国へ帰るんだ、と思ったら少し悲しくなりました。ですけど、元気を出して広島女学院高校での交流会を楽しみにしました。交流会では、日本各地から来た高校生たちを始め、カザフスタンやアメリカのハワイから来た高校生たちが集まって平和についていろんな話をしました。女学院の生徒たちの英語がすごく上手だったので、やっぱり広島の名門校だなぁ、と思いました。約5時間ぐらいの長い交流会を後にして、メリィハウス西風新都へ行きました。そこで、僕たちの研修を後援するカン・インス理事長からいろんな話を聞きました。自分の人生の目標を決めて、あのゴールまで一生懸命走る人になろうと決意を固めました。

4泊5日間の広島研修はこう終わりました。この研修がすごく楽しかったので、最後の日はみんなとの別れが惜しくて、韓国へ帰りたくないくらいでした。この研修でたくさんの方々のお世話になって、いつもこの感謝の気持ちを絶対忘れないようにしようと思います。広島韓日国際交流センターから来られた吉崎さんや岡崎さん、そしてひどい暑さの中でもカメラやマイクを持って撮影を続けられた古本さんや玉木さん、そして僕たちをずっと引率された引率者の皆さん…。いつかまた広島へ行ってみなさんにもう一度会いたいと思います。そして、この研修で出会った9人の友達とずっと交流し続けたいと思います。みなさん、5日間、ありがとうございました!