広島での幸せな思いで
今回、日本語競試大会で運良く入賞することになって、広島に4泊5日で研修に行ってくることになった。実は以前まではコロナ、受験生活で海外に行けなかったが、久しぶりに旅行に行くことになったと思い、ワクワクしながら広島へ行った。
1日目、広島に到着すると、空港から多くの方々が広島に研修に来た学生たちを歓迎してくれた。とても嬉しい気持ちでバスに荷物を積んで、昼食を食べに行った。昼ごはんを食べてからは広島城に行った。前から直接目で見たいと思っていたので、実際に見たらとてもきれいだった。それで目でもたくさん残して、写真でもたくさん残してきた。広島城から城だけでなく、その周辺にある自然もとても美しかった。水の流れる音、鳥たちが鳴く声を聞きながら歩くのが心に安らぎを与えた。広島城とその周辺を見てからは広島の放送局に見学に行った。韓国でも放送局は一度も行ったことがなくて不思議だった。放送局で実際に放送をする姿、放送送出する方々が何をしていらっしゃるのか見学もできた。
2日目、宮島に行くために宮島口船着場に行ってフェリーで行った。 広島ではとても暑かったがフェリーに乗って行く間に涼しい海風を浴びながら行くと気持ちが良かった。フェリーに乗って入った宮島で厳島神社を見回した。そして厳島神社から見える大鳥居は本当に美しかった。見回った後は商店街も見回した、商店街にはたくさんの人がいて、いろいろな物も売っていた。 商店街で昼食を食べてからは水族館にも行った。 かわいいアザラシのショーも見て、かわいいペンギンも見ることができた。 宮島での観光を終えてからは美味しい夕食を食べた。
3日目、制服を着て、広島平和記念資料館に集合して、広島女学院の学生たちと見学をする時間を持った。広島平和記念資料館の中には、人々が広島原爆当時の状況を描いた絵や、当時の人々が残した言葉や写真が残されていた。記念資料館を回りながら、当時の人々の恐怖と不安を感じることができた。記念資料館を全部見てからは、外にある平和公園を巡回した。原爆ドーム、原子爆弾子ども銅像、核戦争が終わるまで消えない火を歩き回りながらそれぞれ説明を聞きながら見学した。私はその中で最も印象深かったのが原子爆弾の子供像だった。原子爆弾子供の銅像があるところに後ろに数多くの折り鶴が折れて中にあるのが見える。その鶴たちが実は、被爆した子供が白血病にかかってから折り鶴を折れば治ると信じて折り鶴をずっと折りながら亡くなった子供を追慕するために建てられた銅像だと言った。これを聞いて、核の残酷さについて改めて感じた。公園まで回ってからは広島女学院見学に行った。女学院には本当に多様な施設があり、韓国と似ている点も違う点も多かった。そのように学校を一度見学してからは学校内で日本人の友達とグループ別に昼食を食べてお菓子を食べながら話す時間を持った。友達と話しながらお互いに多様な話をしながら交流できる時間だった。私は人見知りする性格なので、友達にその時、積極的に話しかけられなかったことが少し後悔されたが、楽しい時間を過ごせて良かった。 友達と話してからお好み焼きを食べた。 目の前で焼いてくれるので、目も口も楽しい食事だった。
4日目、メリーハウスに行った。高齢者の方々がいらっしゃるところで、私はここでもう一度、日本が本当に高齢化のための施設がよくできていると感じた。韓国では見られない規模の非常に大きな施設だった。高齢者の方々が過ごすだけでなく、他の便宜施設を利用できるようになっている点がとても不思議だった。それで私は我が国もこのような施設が必要だと思って、もっと集中して施設内部を見て回った。施設を全部見てからは奥田元松紗友女美術館に行った。美術館に行って、奥田香組の絵を見ることができた。 奥田の描いた絵は本当に美しかった。そして今回、特別にも私の好きさキャラクタであるリサとガスパールの20周年を記念した展示も行われていた。それでリサとガスパールの展示までとても嬉しく見て回った。夕方には日本人の友達と広島研修に来た友達と外に出て楽しく遊んで思い出もたくさん残してホテルに戻った。
5日目、空港に行って友達と先生と惜しんで空港で写真もたくさん撮って家に帰った。
広島研修に来て4泊5日間良い友達と先生にもたくさん会って、良い経験もたくさんして、暑くても気持ちよく、すべての日程を終えることができた。今度の研修を通じて日本に行きたいという考えが前より強くなった。この後、日本に行ってからは韓国と日本の交流をもっと円滑にしてくれる存在としても活躍したいと思った。このような良い機会をくださったすべての方々に感謝の挨拶をしたいし、一緒に旅行に行ったすべての人々にもありがとうと言いたい。
井の中の蛙
私は今回の研修旅行で本当に沢山の物を学び経験しました。このすべてが私を高く評価してくださった方々のおかげだと私は思います。全国中高生日本語学力競試大会に参加したのはただの偶然でした。当然、私は上位5人の内に入り、広島に学びに行くなど想像だにしませんでした。しかし、いったいどんな風の吹き回しか私は上位5人に入ることが出来ました。
広島での日々はまるで理想が詰まったおもちゃ箱でした。その箱の中で私は日本の美しさを発見することができました。一日目の縮景園で見たカメやコイなどの生き物達、二日目の宮島で見た豊かな自然とその自然の中に立っている趣のある神社、そのどれもが日本の美麗な自然でした。そして、自然だけではなく広島の都会もまた言うまでもなく素晴らしかったです。ホテルの近くにあった丸善書店、宮島の後に行ったイオンモール、三日目のドン・キホーテその全てが私の夢見てた思想的な日本の姿でした。
広島で体験した日本もは大変感慨深いものでした。しかし、私には一緒に五日を過ごした仲間達の方がもっと重要だったと思えます。なぜなら、今まで私は地方に住んでいたせいか私と年が近い日本語能力が優れた人と会う機会がありませんでした。そして、高校に入学して日本語の授業を受けたら平仮名すら知らない生徒が大半。それからの私は他人を見下したりはしないものの、心の中のどこかで'私って結構日本語出来るのでは?'とイキっていました。そして、その錯覚を跡形もなく打ち砕いてくれたのが此度の研修旅行で出逢った人々でした。本当、私とは比較にならない程日本語が上手い人が沢山いて日本語だけを取柄にしてきた私にはとても耐え難く、ある種の劣等感すら覚えました。しかし、日が過ぎるに連れて私はその差を認められるようになりました。そして、それだけじゃなく私もあんな風になりたいと思うようになりました。私は自分が井の中の蛙だったことを本当の意味で認めることができました。このような内面的な成長は普段の日常の中では滅多に起きないものだと、そしてそれが夢の成就にあたってどれほど大事なのか、一応知っているつもりです。だからこそ、私は此度の研修旅行で、また一歩自分の夢に近づくことができたのです。
この広島研修旅行で私は沢山の経験を積んで成長を遂げました。このような機会を与えてくれた方々には本当感謝の気持ちでいっぱいです。日本語学力競試大会のこと、四泊五日間の広島研修旅行のこと、全部ありがとうございました。
広島と一緒に過ごした5日
4時30分、仁川空港に到着すると荷物を持って第1ターミナルに向かった。当時の私は前日11時に出発したからか空港が広いからか、集合場所を探すためにしばらく迷った。私は地方で生まれ育ったので仁川空港に来るのは記憶上初めてだった。仁川空港で感じる圧迫感とほとんど言葉も混ぜていない人々と一緒に日本へ行くという不安感が私を焦らせた。しかし広島での旅を終えて帰ってきた私は、そのすべての焦りが物足りなさに変わっていた。今から私の否定的な感情を根こそぎ変えた5日間の短い時間を紹介しようと思う。
一日目
広島空港に入ると、引率者の先生たちが空港入口で嬉しい顔で私たちを迎えてくれた。日本での初めての昼食後、広島城に到着した。広島城を見ながら建物の雄大さと当時の人々の陶工技術を見抜くことができた。その後、RCC放送局という場所に向かい、放送局の歴史について聞いて直接見学できる時間を持った。私たちが単純に見ているテレビ番組一つにこんなにも多くの努力が入るということを知り、本当に有益な時間だった。
二日目
簡単にホテルの朝食を食べて宮島に行くための船に乗った。宮島には韓国では見られない数多くの野生鹿や日本の厳島神社、海上に建てられた赤い鳥居などが見られた。後でまた船に乗って帰って焼肉屋に行った。そこでまた別の先生に会って一緒に夕食を食べた後ホテルに戻った。
三日目
朝、急いで起きて制服を着た。3日目は広島女学院の生徒たちと一緒に広島平和記念資料館と広島女学院を見学する日だった。広島の名所の一つである平和記念公園を一緒に見て回り、原子爆弾が爆発した当時の人々の姿とその後の広島人たちの努力を目で確認することができた。その後女学院に向かい一緒に韓国式昼食を食べて学校を見学した。マンガでしか見られなかった日本の学校を目で見ることができてとても幸せな時間だった。そして一緒に広島の繁華街である本通りを見回り夕食に広島のお好み焼きを食べて日本の友達と別れの挨拶を交わした。
四日目
4日目は元々泊まっていたホテルを離れ、メリーハウス八千代という場所に到着した。そこで施設を見学しながら、お年寄りのために設けられた洗練された多様な施設と昔の韓国大統領だったパク·ジョンヒ大統領の署名を目で直接見ることができた。その後、美術館に向かって様々な美術品と彫刻像を鑑賞しながら日本人の芸術に対する情緒を感じることができた。
五日目
最終日の朝が明けた。最終日は個室だったので急いで立ち上がり、荷物を整理して空港に向かった。急いで手続きを踏んで引率者先生と別れの挨拶を交わしながら急いで飛行機に乗った。たとえやりたいことを全部できただけに長い時間ではなかったが、大切な思い出がもう一つできたという考えで残念な気持ちを最大限抑えることができた。
広島での思い出
私に取って、広島はちょっと特別なところである。それは家の高校の姉妹高校である加茂高校があるからである。それに広島は歴史的にも意味深い。広島は歴史好きな私にいつか行ってみたいところだった。幸いに、今回いい機会ができて初めて広島に行ってきた。
広島に着いた私が最初に行った場所は縮景園だった。そこには大きい池があって、まるで新海誠の言の葉の庭のようだった。美しい景色の縮景園の後は広島城であった。 広島城の中はそこの歴史に関したものでいっぱいだった。ちょうどその回りにRCC放送局があって、放送局を見学することができた。他国の放送局に行く機会はめったにないから、たくさんのものを目に入れるために頑張った。夕方になってからはホテルに戻ったが、私はホテルから出てそこで知り合った日本人の友達と夜道を歩いた。朝はとても暑かったが、夜には涼しくてそんなに辛くなかった。
次の日、私は宮島に行った。そこでは厳島神社に行ったり、アクアリウムに行ったり観光客みたいに遊んだ。ちなみにそこには鹿があるけど、なんとその鹿は触れることできた。鹿が食べ物を食べるためにこそこそ来るのは怖かったけど、鹿を近くで見られる良い機会であった。
三日目には楽しみにしてた国際交流をする日だ。広島女学院の生徒と韓国スピーチ大会で優勝した子達と広島平和記念館に行ってそこら辺を説明してもらった。広島平和記念館は悲しい歴史を忘れないため、そしてそこで失くなった方々を弔うために作られたそうだ。もちろん当時の朝鮮の方々を弔う慰霊碑もあった。その後は広島女学院に行ってご飯を食べた後学院内部を見学してもらった。私たちも自分の学校の制服を着てたけど、この記憶は絶対忘れないと思う。予定どおりなら女学院の生徒たちとはここでお別れだが、なんとなくみんなと遊べた。私は日本のjkのようにプリクラを撮ったりカフェに行ったりした。
四日目には三次に移動して三次グランドホテルに行った。行く途中通った美術館では様々な作品を見ることができた。
最後の日には朝の飛行機に乗って韓国に戻った。私は今日本留学を準備してる。そしてこの研修を通って、その夢はもっと固くなった。私は韓国と日本が仲良しの未来を作るため、外交官になりたい。そうするため、大学卒業後日本で国際交流活動をするJETプログラムに参加しようと思ってる。それで最終的には日本の方々に韓国について良い印象を与えたい。私は今まで日本で会った優しい人々のおかげで日本について良い印象をもらって、ここまで来られると思う。だから私がもらった分、日本人にいい印象を与えて、韓国が好きになってほしい。
今回、こんなに素晴らしい経験をくれたことに感謝する。
研修旅行で得られたもの
今年の春に開かれた2023年全国日本語学力競試大会に受賞し、副賞で日本の広島へ4泊5日間の研修に行くことになりました。 最初は2次に進出することも、最終受賞をすることも全く予想できないまま、ただ次の機会のための良い土台になる経験を積んでいくという考えで一生懸命取り組みました。しかし結局受賞することになって夢にも見ていた日本研修に参加できるようになりました。
初日には仁川空港から集結後広島に到着、その後縮景園、広島城、rcc放送局を見学しました。そして夕食に韓国料理、中華料理、和食のフュージョン料理を食べました。
2日目にはフェリーで宮島に行き、厳島神社を探訪しました。また、そこの大鳥居を訪れたり、商店街で組員の友達と一緒に昼食を食べながら、そこでしかできない特別な経験をしました。
3日目には旅行に行く前から一番期待と緊張をしていた日でしたが、私の予想通りのとても印象深い一日でした。 朝から平和記念資料館に向かい、韓国語コンテストの受賞者の方々と広島女学院の生徒に会いました。 最初はみんなぎこちなかったけど、お互い話をしながらだんだん親しくなりました。 広島女学院の友達に資料館や平和公園、原爆ドームなどの説明を聞きながら平和の大切さを改めて実感しました。 その後広島女学院に移動してみんなで昼食をとり、各国から持ってきたお菓子を一緒に分かち合いながら交流会を行いました。 住んでいる国は違っても一緒に話をしている間、同じ感情を交流して旅行の中で一番楽しい瞬間でした。また友達と一緒に女学院を見物したりお買い物をしたり広島風お好み焼きも一緒に食べました。日本現地人の友達と話し合いながら日本語を学んだ甲斐をもう一度大きく感じることができた貴重な一日でした。友達と連絡先を共有して次のことを約束しながら名残惜しさを感じることができました。
4日目には広島市を離れ、三好市に移動しました。そこではメリィハウス八千代、奥田元宋・小由女美術館、三好風土記の丘博物館を観覧しました。日本の芸術や歴史、シルバー産業など、さまざまな社会全般の知識を得ることができました。
5日目には朝早く広島空港に行き、空港で朝食を食べて飛行機に乗って仁川空港に戻りました。
実は私は日本語の勉強をしている最中にも一度も日本に行ったことがありませんでした。ですが、今回の機会を通じて初めて日本に行くことができました。本とメディアだけで接した日本で実際に生きていく毎日が本当に早く過ぎて、すべての日程がとても楽しくて記憶に残る時間でした。 今回の研修旅行は私が今まで日本語を習いながらしてきたすべての努力の一番大きな報いであり、その間の辛さも忘れられるようにしてくれ一番大きなご褒美になりました。また、私がスピーチで言及したテーマだった「調和」を自ら経験し、国境を越えた大切な友情も得られた本当に貴重な記憶になりました。これからも韓国と日本の調和と、私の心の古里となった広島で新しく心に刻んだ平和の重要性を考えながら、より一層両国を知って勉強に精進します。
広島研修で得た成長
今まで7回も日本に旅行にいきましたが、広島は初めてでしたし、 こんな大人数で行ったこともはじめてでした。日本は何回行っても、 どこに行っても楽しいところってことを今度で悟りました。そしてこんな素敵な国の言葉が大会で受賞できるほど話せる、 外国にて話が自由に通じるってことがどれだけの幸せなのかもいっぱい感じてきました。
途中で抜けてしまったことが悔みになるほど楽しい旅行でしたしいつも慣れたところばっかり行って団体行動を避けてきた私としては成長の機会とも感じられました。
広島の伝統的な場所、建物だけではなく現代史や現代の文化も感じられる放送局や記念館まで訪問できてとてもいい機会でしたし引率してくださった先生の方々、一緒にあちこちを旅行した他の受賞者の方々も私に多くの成長の機会を握らせてくださった方々だと思います。そして日本の高校生の方々とも交流の絆が届き沢山お話しでき、今後の日韓関係の進展をもっと期待するようになりました。韓国と日本は距離が近く、また歴史や文化的にも深く関わってる関係なだけこういう次世代の日韓交流の場がこれからも沢山用意されることを願うようになる機会でしたし私も個人的に日本語をもっともっと練磨し他の日韓交流にも参加したいです。
日本研修での経験
私は5日間、初めての日本旅行である広島研修をして来ました。
いつも行ってみたい国だった日本へ行って感じたこと、思ったことをここで話したいと思います。
1日目には広島空港へ着き、広島城へ行きました。広島城の上で見える景色はとても綺麗だったんです。その後はRCCという放送局へ行きました。そこで出会ったアナウンサーさんたちも、案内してくれた方もすごく優しくてよかったと思いました。生配信の撮影も見れてわたしにとってはとてもいい経験になったと思います。
2日目にはとても行きたかった宮島へ行ってきました。海の中にある鳥居と海の上に浮かんでいるように見える神社がすごく綺麗でした。おかげでいい写真を撮ることができて嬉しかったです。
3日目には広島女子学院の学生たちと交流会をしました。初めて私の年頃の日本人たちと話すことだったから緊張していたんですけど、みんなが優しく声かけてくれてありがたいと思いました。色んな人に会えて、話せたので私にすごくいい経験になりました。
4日目には美術館と風土記の丘という歴史博物館へ行ってきました。普段勉強したかった日本の歴史を少しでも知ることができてよかったです。
5日目には帰国の準備をして韓国へ帰りました。
初めて行った日本でたくさんのいい経験を作ることができてとても嬉しくて幸せで楽しかったです。また機会があれば広島へ行きたいです。
人生最高の経験、思い出、旅行
広島に到着して、協会の引率者の方々と親切なバス運転手さんにまだぎこちなかった日本語で挨拶を交わした。そして暑い日本の夏を自ら感じながら広島城と放送局を見学しながら意味深い時間を過ごした。まだ実感もわからず、新しいことが多くてソワソワしていた私たちだったが、ワクワクする気持ちがもっと大きかったため、私の記憶の中の広島の初日はお互いに知り合って慣れていくワクワクした思い出として残っている。
2日目は朝早くからホテルの朝食を食べて宮島に向かった。船で初めて嚴島神社を見た時は、本当にあんなに憧れていた日本のアニメの一場面に向き合ったような気分だった。笑顔をいっぱい浮かべて宮島に第一歩を踏み出すと、自由に街を歩き回る鹿たちと和風の建物が私たちを迎えてくれた。暑くて島を歩き回るのは大変だったが、途中で与えられた自由時間とアクアリウムで出会った数多くの可愛い海洋生物がその疲労感を忘れさせてくれた。そうやっていっぱい歩き回って食べた夕食は本当に最高だった。
3日目は交流会があって制服を着てみんなで広島平和資料記念館に集まった。私たちはその間お互いに親しくなったが、女学院の学生たちとは最初はとてもぎこちなかった。しかし、女子学院の学生たちの説明を聞くと、広島で起きた原爆の歴史が私に本当に深く近づいてきたようだった。そのように原爆ドームまで全部見た後、女学院に足を運んだ。その時、女子学院の学生たちとの交流会は広島でのすべての日程の中で一番幸せだった。お互いに知らなかった文化を紹介して不思議がって笑って騒いだその瞬間がとても良かった。そしてその後は女学院を見学しながら韓国の学校との違いをたくさん知るようになった。ドン·キホーテ、アニメイト、デパート、そして最後にお好み焼きを食べて別れの惜しさをなだめながら私たちはホテルに、女学院の生徒たちはそれぞれ家に帰った。本当にたくさん笑った一日だった。
4日目は朝ホテルでチェックアウトした後、かなり長くバスに乗ってシルバータウンに向かった。日本の田舎は初めてでとても気になったが、並んで立っている住宅と畑がとてもきれいで良かった。見ているだけでも笑みがこぼれるような感じがして、心がドキドキした。シルバータウンも、その後行った美術館も本当に変わった経験だった。その後は体調が悪くてまともに楽しめなくて残念だった。しかし夕食にカツ丼を食べてまた元気が出て日本での最後の夜を満喫した。 惜しくて悲しかったが限りなく楽しんだから後悔はしないと思った私だった。
そして最後の日が明けた。朝早く起きて広島空港に向かう間とても眠かったが、いつまた見られるか分からない日本の美しい風景を最大限目にしながら耐えた。そして空港でおいしく朝食後最後に残ったお金を全部使って飛行機に乗った。競試大会も今回が人生で初めてで、家族ではない人々と一緒に行く旅行も不慣れだったが、笑いに満ちて幸せな気持ちでいっぱいの4泊5日だった。そこで会った姉ちゃんたちとは未だに連絡を取り合っているし、後でまたこのメンバーとして日本旅行に行こうと約束までした。私の人生で最高に楽しい経験、思い出、旅行だった。本当にありがとうございました!
広島研修後記
この旅行はどんな旅行よりも意味深い旅行だった。 まず賞として旅行に行くという点、日本語を始めてから初めて行く日本という点、他の日本語が上手な人たちと一緒にするという点、皆この経験を意味深くしてくれた。
初日は空港に到着するやいなや広島国際交流センターの方々に歓迎された。 歓迎と一緒にバスに乗って昼食を食べに行き、その後は広島城を見物した。 会ったばかりの人たちだったが、すぐ親しくなり、すでに長い付き合いのように接することができた。 短い広島城見物の後、rcc放送局に見学に行った。 放送局というところは初めて入ってみるものだったが、放送がどのように作られるのか知ることができて不思議だった。 本当にとても貴重な経験だと思うすべてのことを目にして来たいほどだった。 かなり有名そうな人たちに会えて、放送する姿をすぐ目の前で見守ることができるということは本当に良い経験になった。
翌日は宮島に行った。 海の真ん中にある赤い鳥居が特徴のところだった。 神社を全体的に見て回った後は商店街を歩き回りながら記念品を買ってご飯を食べた。 宮島の青空ときれいな環境は本当にとても美しかった。 その後、宮島水族館でオットセイショーを見て(韓国では見たことがないので比較にならないが、とても可愛くて見てよかったと感じた)いろんな海洋生物を見物した。 クラゲ、イルカ、カニ、タコ、ペンギン···.. たくさんの動物を見物して出てきて、大きなデパートでちょっと個人時間を過ごした。 時間があまりなくて残念だったが、日程になかったところなので足を運ぶしかなかった。 その後は夕食を食べて宿に帰った。
3日目は最初から日本人学生たちと一緒だった。 私は1組になって2人とつきまとうことになったが、よく説明してくれたのが思い出される。 特に消えない炎が一番記憶に残る。 世界中の核がなくなって平和を取り戻すまで消えないなんて。 いつかはこの花火が消えることを願いながら足を向けた記憶がある。 また、韓国人死亡者のための碑もあった。 その爆発で多くの韓国人が死んだことを知り、彼らのための碑石を建てたという点はありがたいこともあった。みんなが平和に過ごせることを願うばかりだ。 その後は平和公園を出て女学院に向かった。 本当にアニメでしか見たことのない姿が目の前に広がって言葉が詰まるほどだった。 一緒にご飯を食べてプレゼントを交わしながら日本人学生たちともたくさん親しくなれた。 学校の見物をした後も日本人学生たちと市内を歩き回り、日が暮れた後に別れた。いい縁を作れたようで嬉しいだけだ。
4日目はメリーハウス八千代を歩き回りながら見物をした。その後、美術館で様々な美術作品を見物した。ゆっくりとすべての作品を見て回った後、歴史博物館に行って日本の歴史に目を通した。普段あまり関心がなかったものだったが、今回の機会に関心を持つことができそうだった。
広島というところは原爆関連としか知らなかったが、今回の研修で行った宮島では広島というところがどれほど美しいか分かった。 もちろん原爆の被害を受けたところであるだけに、原爆の危険と平和の大切さも感じることができた。 いい人たちといいところで一緒にできることが本当に幸運だと感じたし、日本語を勉強して、この大会に参加できて本当に良かったと思った。
同じであっても違うから幸せだった5日
果たして知らない人たちと一緒に4泊5日間親しく過ごせるかな? 心配の先立った旅でした。そんな心配をいっぱい抱いて旅立った旅行で日本語という共通の関心事を持った友達のおかげでどこでもできない話を話すことができたしお互い違う目標のために熱心に努力する学生たちのおかげでどこでも聞くことができない話を聞くことができました。こんなに幸せな5日間を過ごしてもいいのかと思うほど幸せな5日間でした。
そうして始まった広島旅行の1日目、私たちは広島城を訪れました。広島城のあちこちに書かれている文と貼ってある写真を見ながら広島の昔の姿についてもっとよく知ることができました。友達と一緒に文や写真を見物しながら最上階に上がった時に見た風景が最上階まで上がってきて溜まった疲れを忘れるほど美しくてまた元気を出すことができました。その次に訪れたRCCC放送局では、ラジオ局と放送局の違い、放送撮影が行われる現場などを直接見学し体験することができて楽しかったです。普段放送やアニメなど映像物が好きで、それに関する進路を目標しているので見たいことも多かったし質問したかったことも多かったんですが、いろんなことについて親切に教えてくださって楽しくて有意義な時間を過ごせましたした。皆各自分の席で最善を尽くして結果物を作り出す姿が本当に素敵で、もう一度進路に対する覚悟を固めることができました。
2日目、私たちは船で宮島に乗って宮島に行きました。 青い海を分ける涼しい風が私の心も涼しくしてくれるようでした。宮島に着くと、鹿たちと人々が調和して宮島通りを歩いていて不思議でした。 宮島水族館で様々な海洋動物たちとも出会い、友達と一緒に宮島商店街で楽しく遊んでいたら、いつのまにか宮島の魅力にすっかりハマってしまって、夕べに宮島を離れるのが残念でした。
3日目、学校でしか着ていなかった制服を日本で着ていたら感慨深かったです。日本の学生たちの説明を聞きながら平和公園を巡回したら、これまで知らなかった公園構造物の意味とその中の痛みを深く知ることができました。広島女学院を見学しながら日本と韓国の学校の違いを知ることができ、それについて日本の学生たちと自由に話せる事ができて楽しかったです。交流会を通じて日本のお菓子と韓国のお菓子、お互いの関心事について話し合いながら親しくなって日本文化についてももっと深く理解することができて本当に楽しくて意味深い時間でした。日本の学生たちと会って学校を見学するなどの個人的には経験するのが難しい経験だったのでもっと記憶に残るようです。
4日目、メリーハウス八千代に訪問して施設を見学し、その周辺を見物しながら韓国とは違う日本の魅力に再びはまる時間でした。おいしいご飯を食べて友達一緒にメリーハウス八千代のピアノも弾きながらみんなと楽しい時間を過ごしました。その次には奥田玄宗紗夢美術館に訪れました。美術館にいる多くの作家の作品を見ながら、一層深く美術の魅力にはまることができて良かったです。美しい作品を見て、いつかは私もそんなに誰かをはまさせるような美術作品を作りたいと思いました。次は歴史博物館に訪問して遺物と写真を見ながら友達とお互いに知っている情報を交換しました。お互いに知っている情報が違うので、一緒に情報を分かち合いながらもっと深く博物館を見学できて良かったです。
5日目、なじんだみんなと過ごす最後の日だなんてすごく残念でした。一緒に撮った写真を見て笑ったり残念だと泣き顔をしたりもしました。中学校最後の夏休みにこんなに素敵な思い出を作ることができたし、こんなに良い友達に会えて幸運だと思いました。お互い同じであっても違うから5日間一緒に過ごしながらたくさん学ぶことができましたしたくさん笑うことができました。私にとっては二度と過ごせないとても大切な5日でした。