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睦景倫

「私の日本」に新たな色彩を染めてくれた広島研修旅行

「今回の旅行は、‘私の日本’をまたしてもどんな色に染めるんだろう。」

  ありがたいことに、四泊五日間の広島研修の機会が与えられた時、私は快哉を叫んだ。そしてトキメキながら思った。「今回の旅行は、‘私の日本’をまたしてもどんな色に染めるんだろう。今度の研修で日本は三回目の訪問となった。インチョン空港から出発した福岡行きの飛行機の中では、胸騒ぎのためついつい夢中で窓の外を見ていたような気がする。
  初日は、福岡についた後新幹線に乗って広島へと向かった。些細なことではあるが、ここで私が感心したところは、まさに新幹線の車掌さんの乗客への態度だったのである。彼は、自分が列車の通路を行き来しながらドアを開け閉めするたび、いちいち帽子を脱いでとても丁寧に乗客に挨拶を交わしていた。
  その親切さが心にしみた。日本人ならではの市民意識がにじみ出ているような彼の態度を目にして、広島に着く前から心が何かに満ちたような思いをした。やがて広島につき、マイクロバスに上がる途端、同い年の日本人の生徒たちの姿が目に留まった。
  彼らと落ち合うという話は全く聞いてなかったので驚いたが、その一方新たなご縁がむすばれるように思えてとてもウキウキしていた。それで、私はいつもの無口な性格はさておきにして勇気を出してある女の子に声をかけた。言葉が次々と生まれて、話し合って、仲良しになった。大切な友達ができたようで、大変うれしかった。   その後、駐広島大韓民国領事館で歓迎の言葉をいただき、本物の日本の地についたな、と実感が湧いてきた。それからは、広島の繁華街の本通りを闊歩して、ドンキホーテに寄った。私の両手にぶら下げられた重い荷物らを日本の友達からさりげなく持ってもらい、感謝のかぎりだった。宿に戻る時も、私は体はへとへとに疲れていたけれど、心だけは誰にも負けじとワクワクしていた。広島の日常的な景色を頭の中にしっかり収めておきたくて、バスの中で窓の外を食い入るようにじっと眺めてた。そうやって初日は慌ただしく過ぎていった。二日目は広島城、rcc放送局、平和公園、原爆記念館、広島女学院での交流会など本当に色々な経験をさせてもらった。放送局では国でも中々しにくい体験をして、業務の詳しい事項やスタジオの内部など様々なことを見学することができた。平和公園へ向かう途中は日差しの中で長く歩かされていたためクタクタにもなったが路面電車に乗って広島の街を見渡せたので特別な経験だった。慰霊碑の前で犠牲者らを追慕し、黙とうをし、原爆記念館では歩き回るそばから多くのことが学べた。特に日本の友達が付き合って原爆投下についての色々なことを教えてくれた。

 私は近頃読み破った漫画の‘裸足のげん’を思い返しながら観覧した。その上、原爆投下日を控えていたため慰霊祭の準備をしている姿ものぞいた。私も後程広島に再び訪ねる時はぜひ参席させてもらいたい。その後訪問した広島女学院は私立の中高一貫校で思ったよりもずっと優雅で美しい学校であって生徒らの制服も綺麗で、落ち着いている感じだったので感心した。まず生徒らは彼女らが六年にわたって受講するPS(ピーススタディー)という科目での主な活動について発表を進行し、以降小一時間くらいの交流会を行った。うちのチームの生徒らはとてもシャイで、時々話はぽつぽつになったこともあったが、でも様々な意見を聞き、もっと広い世界を知ることができた貴重な時間だった。後半は、各々持ってきたお菓子を交換こしたが、生徒らには袋に収まり切れないほどのたくさんのお菓子をもらって、慌てながらもありがたかった。

  三日目には和式庭の縮景園を散歩し、ローカル企業のメリーハウス八千代を見学した。縮景園では美しい景色を楽しんで、和風の家屋で茶道の体験もした。茶菓子を食べたり、直接抹茶を作って飲んでみたりした。深き味わいは格別だった。メリーハウス八千代ではホスピタルと介護施設などを見学した。今年新たに開院したという施設は地域住民のHUBみたいに設計されていて印象深かった。
 夕食は企業主催のビアーガーデンでご馳走になった。地域の住民の方々と交わっておいしい祭り風の食べ物をたくさん食べられた忘れられないひと時だった。四日目には世界文化遺産の宮島に行った。私は特にこの日、雲の上に浮かんでいるかのような心で宮島へ向かった。相変わらず暑苦しかったがそれに劣らず自分が宮島自体に感じていた楽しさと好奇心も強烈であった。水族館でも純粋に楽しい時間が過ごせた。厳島神社でお守りを買い、彼の有名な鳥居の前でみんなで写真を撮った。自由時間には、宮島随一のスタバにもよって、紅葉まんじゅうや杓子などを売っていた商店街や、浜辺を駆け回って甲斐のあるひと時を過ごせた。ところどころに棲んでいるシカをほほえましく見つめたりもした。宮島で過ごせた一時は絶対に忘れはしないだろう。ぜひとも再び訪ねたいと願った。その後は広島府中のイオンモールで浮かれたまま買い物したりして地元民になったような気分を満喫した。その日の夜には寄せ書きをし、線香花火もした。線香花火は実際手に取って遊んでみるととても楽しく、愉快になった。最後の夜を飾ってくれた。

 今回の広島研修は’私の日本’というアルバムに色とりどりの色彩を添えてくれた。決して消し去られることのない、厚くて美しい彩を。自然や日常の景色の何もかもに感心してみたり、大切な縁を結んで、新しい人々とさりげなく付き合って、また歴史と平和について考えさせられる大事な日々だった。四泊五日は名残惜しくも矢のようにはやく流れてしまったが私は決して広島での日々を忘れはしないだろう。ぜひ、この思い出を胸に刻んだまま再び訪れるいつかの日を待っていたい。

秦秀沇

不安から幸せへ

 「みんなと仲良くなれるかな」「迷惑をかけたらどうしよう」学校生活を過ごした期間が短いせいで、集団行動に慣れていない私は不安な気持ちでいっぱいでした。私はそんな不安な気持ちを抱いたまま、仁川空港へ向かいました。そこには5日間を一緒に過ごす大会の入賞者たちがいました。楽しそうに写真を撮っている人がいれば、不安な顔をしている人もいました。幸いにもその中には私と同じ趣味を持っている女の子がいて、その子とすぐ仲良くなりました。そこから私の不安は少しずつ楽しみへ変わり始めました。

広島に着いた私達はお昼を食べたあと、駐広島大韓民国総領事館を訪ねました。領事館の方には堅いイメージを持っていたので、凄く緊張しました。研究員の方から領事館の仕事や位置などについて説明を聞きました。日本には東京に大使館があって、仙台や横浜など広島を含めた9ヶ所に韓国の領事館があるそうです。領事館の数が日本に滞在する韓国人が多いということを示していると思いました。しかし、韓国にある日本の在外公館はその数に比べると少ないほうです。これは何を意味しているのか。この疑問に私は日韓関係についてもう一度考えさせられました。
 2日目は一番印象に残っている日です 。私達は広島城を見たあと、RCCという放送局を見学しました。私は昔から歌手になりたいという夢を持っていたのでRCCの見学はまるで夢のような時間でした。ラジオの収録スペースやテレビの撮影スタジオに入るたび、胸の中で何かが熱く燃えているような気がしました。そして、日韓を繋ぐシンガーソングライターになって再び、RCC に来たいと思いました。 私達はRCCを後にして平和記念公園に向かいました。そこには広島女学院の生徒たちが私達を待っていました。私達は一緒に平和記念公園を廻り、生徒さんから広島に投下された原爆について説明も聞きました。広島は原爆被害地だとは思えないほど綺麗な場所だったのでその話を聞いて衝撃と悲しみで体が震えそうになりました。

 そのあと、交流会のため、広島女学院に行きました。学校生活に憧れを持っていたせいか、なんだか胸がときめきました。ちょうどみんなに合わせて制服のような服を着ていたので、本当に日本の高校生になったような気分になりました。交流会では日本と韓国のイメージについて話したり、お互いの言葉の綺麗な単語を教え合ったりしました。意外とお互いの国にイメージを持っていなかったので少しびっくりしました。
 3日目は縮景園を廻り、茶道を体験しました。元々知っていた茶道とは少し違う所があったので、聞いてみたら茶道のやり方は流派によって違ってくると教えてくださいました。機会があれば書道や華道のような他の日本古来の文化も体験してみたいと思いました。 その次は有料老人ホームのメリィハウスに行きました。どのベッドからでも外が見れるように作られた部屋や手すりの位置を変えられる風呂場など高齢の入所者を配慮したインテリアが印象深かったです。高齢者が多くなっている今、韓国もこのような有料老人ホームが増えると思います。
 4日目には、船に乗って宮島に行きました。宮島については以前、風景がとても綺麗だと聞いたことがありますが、噂通り、宮島は驚くほど美しい場所でした。シカが自由に歩いているのを見てとても自然豊かなところだと思いました。 この日の夜はみんなでお互いにメッセージを書きました。日本語が上手だと褒めてくれる内容が多くてとても嬉しかったです。これからもっと頑張らなきゃいけないと思いました。
 5日目の朝はあっという間にやってきました。韓国に帰る飛行機を待ちながら、広島での思い出を振り返ってみました。最初の不安はどんなに心の中を探ってみても見当たりませんでした。変わりにそこには幸せな気持ちがいっぱいでした。

今回の研修は修学旅行など学生時代の思い出が少ない私にとって素晴らしい思い出になりました。また、日韓関係について考えさせてくれる貴重な時間でもありました。私はこの研修で感じたことを忘れず、将来、日本と韓国に渡って活躍できる人になりたいと思いました。

朴加恩

 私は広島研修旅行に行くために大会に参加したと言っても言い過ぎではないほど広島に行きたかった上に、楽しみにしていたけど、一方では過去原子爆弾による内部被曝についての心配や、新しい友達を作るのについての恐れなどがあって、研修についての期待のように拒否感も多くあった。しかしいざ空港に着いてみたら、良い友達にも会えたし担当の先生も親切にしてくださったから緊張も解けて良いスタートを切ることができた。
 そして福岡空港から出発して広島駅に着いてからも先に話をかけてくれてご飯も一緒に食べようと誘ってくれた日本人の友達のおかげで良い雰囲気づくりもできた。  まず最初の日には広島に位置している韓国の領事館を訪ねて、実際に領事館で担当している仕事をわかりやすく説明してくださったので関連の進路についても考えることのできる有益な時間だった。それから路面電車にも乗ってみたけど、韓国では路面電車という交通手段が疎いうえに、接することすらできないのですごく不思議だった。

 二日目の日にはまず広島城を見学した。写真で見ることしかできなかった広島城は意外と小さくて印象深くもなかったが、日本の歴史について少しだけでも知るようになった。広島城の見学が終わって、近くにあるrcc放送局に行ってみた。NHKのように見学施設と本社が別々になっていなくて、実際にスタジオに行って設備や、作業中の局内の姿を直接見て色々なことを学ぶことができて放送関連の仕事についても考えられるような良い機会になった。見学が終わって日本人の友達まで合流し、平和公園に見学に行ったが、4泊5日間の研修旅行の日程の中で一番印象深い経験だった。
 偏見を持って広島に来た自分が恥ずかしかったし、家族の被爆事例を平気に淡々と話す友達に申し訳なかった。原爆当時の状況を見せる写真や原爆ドームは歴史を忘れてはならないという言葉を思い知らせてくれた。それから平和公園での案内をしてくれた女学院のみんなと交流会の時間を持つ日程で、日本人が韓国についてどう思っているのかはもちろん、言論でよく歪曲されていたことについても知るようになって色々なことを感じた。
 夜ご飯として広島風のお好み焼きを食べたが、初めて食べてみたのに思った以上に美味しくてびっくりした。東京で食べてみたお好み焼きとはまるで違っていたけれど麺が入っていて東京のお好み焼きより美味しかった。

 三日目には縮景園という庭を見学した。自然がそのまま保存されている園内ではソウルでなかなか見ることのできない風景がみられたし、原爆の当時から今まで生き残っていた木も見られて不思議だった。ガイドさんについて行って園内を見学した後、茶道の体験をしに行った。
 意図とは違って一番前で体験をすることになった。お茶を作るときの動き一つ一つに気を付けながら その自体の行為を芸術とする文化も不思議だったが、それよりお茶が思ったより美味しくてびっくりした。もちろん苦かったけどその分味も深くて、梅のおもちと一緒に食べるとさらにおいしかった。

 それからメリィハウスというところにも見学に行った。まず病院ではいくら些細なことでも立ち居が不自由な患者さんのために特別に気を遣っていた。 そして下に降りるとおじいさんやおばあさんのお見舞いに来ている孫さんたちがが遊べるように作られていた施設や自分の健康をチェックしてその結果によるカリキュラムに ついて運動することのできるジムもあった。他の施設にも行ってみたが、なかなか外に出ることのできないお年寄りのために美容室、歯医者、または文化生活が楽しめるような施設など全てが一つのビルの中に用意されていた。韓国にはこのような施設が見られなかったので かなり衝撃的だったが、患者さんたちの保護者をしてここなら安全だと思えるような、安心をさせるような効果もあったようでなんだかすごいなと思った。 夕食はそのままメリィハウスでパーティーみたいな行事に参加して食べたが、その地域の人たちに混ざって食べていると一方では不思議だった。みんなが集まって色々なことを共有する行事自体がソウルで一般的ではないので素晴らしい文化だと思った。

 最後の日の4日目には宮島という島に行った。3日目に会えなかった日本人の友達にも会えて浮ついた気持ちで出発して島に着いたらシカがいて、人間に慣れているみたいで触ることもできた。特に子供たちに人気だった。それから水族館にも行ってみたが海の生物にぴったりの快適な環境で管理されてれていた。最後に神社の見学も終わってからまた個別的に行動する時間を持つことにして、まずはお昼ご飯の代わりにスタバックスでジュースとケーキを食べてからみんなでお土産のショッピングもした。宮島から戻ってからはソレイユでショッピングをした。ショッピングも好きなだけして、韓国ではなかなか見られない不思議な商品もたくさん見られた。ショッピングまでのすべてのスケジュールが終わってからは宿へ帰って日本人の友達とご飯も食べたり花火もしたが、その日の夜は一生忘れられない思い出でいっぱいだった。
 韓国への帰り道での気持ちは思ったより軽かった。みんなとの別れが待っていたし、五日間の夢も全部終わってしまう。 けどきっと次はあるという心がけで帰ると不思議なことにすっきりしていた。

 来る前には不安だったが、旅行が終わるとむしろ恐ろしいほど胸がいっぱいになっていた。 たとい五日間の研修旅行は終わりになったが、一緒に参加したみんなや実際に日本で働きながら生活している韓国人のみなさん を見て、動機づけされてから戻ってきたので自信もできたし、いい経験になれたからだ。 今回の研修旅行を起点として目指している目標にもっと近づけたような気がしてより胸がいっぱいになった。 また広島への旅に出るその日まで一生懸命やってみようとする意欲が沸々と煮えた。

宋叡訢

初広島

日本語のスピーチ大会で幸いにも賞を頂けて、広島に行くことになりました。
 初めての広島旅行だし海外に出たことも一回しかなかったので心配だったんですが一緒研修に行った子たちとすぐ仲良くなれたし、回りからも色々助けてもらえて良かったです。飛行機から乗りてから新幹線の時間に合わせるために急いでなんとか新幹線に乗れました。新幹線から降りて昼ごはんを食べに行きました。冷たいうどんは初めてだったし、うどんの種類がこんなに多かったとは知らなかったのでびっくりしました。
 その後大韓民国総領事館を禮訪して宿舎に行きました。以外と狭かったです...初日は色々大変でしたが二日目はとても楽しかったです。

 広島城に行って、そこの歴史博物館も見学しましたが、そこには毛利藤四郎や日本号など日本の名刀の写しがいっぱい展示されてて、元々日本刀が大好きな私にとっては、研修に来られて良かったと思える位とても幸せな時間でした。博物館見学の後は放送局の見学をして、そのあとは日本の学生と会って友達になって一緒夜ご飯を食べながらもっと仲良くなりました。宿舎に戻ってからは、一緒に研修に来たみんなとすごく仲良くなってジンギョンちゃんとガウンちゃんの部屋で集まってインスタライブで今日会った日本の子たちと夜遅くまでおしゃべりをしました。
 三日目には茶道体験をしてメリーハウスとNPO事務所を見学して八千代グループのビアガーデンで夜ご飯を食べて宿舎に戻りました。みんな疲れているのにも遅くまでまたいっぱいおしゃべりをするほど前よりもっと仲良くなりました。次の日は私が一番楽しみにしていた宮島の行く日でした。一緒に行く日本の子たちとお揃いのスカートを着て島へ行きました。宮島にはシカがいっぱいいて海には鳥居が立ってあって、どこを見ても神社がいっぱいならんでいたので他の世界に来たように感じられました。水族館も行ってみんなで神社でくじを引いたり、お守りを買ったり宮島の商店街でお土産を買って、ずっと食べてみたかったかき氷を食べたりしました。スヨンちゃとスタバより現地人が行きそうな所に行きたいと意見が合って、バイトも無しに店長一人でやってるカフェで店長と色々話しながら日本の人が思う韓国のイメージを知るようになって、お互いの国について語り合いました。
 また船に乗って島を出てソレイユにいきました。私は疲れが貯まっていて、途中からはソファで休みましたが、欲しいのは全部買いました。宿舎に戻って夜ご飯の後、みんなで花火をしました。映画でしか見たことない線香花火をやることできてとてもたのしかったです。ですが花火が終わった後には日本の子たちとお別れをしないといけなかったです。二回しか会ってないけどその間にすごく仲良くなれたので別れるのが嫌だったです。みんなとハグをして写真を撮りました。お別れの後一緒に研修に来たみんなとローリングペーパーを書いて、研修の間一番仲良くなったスヨン、ドダム、ジンギョン、ガウンちゃんと先生の部屋に集まってお菓子などを食べながら夜遅くまで語り合いました。最後の日、朝早くから空港に向かいました。別れる野は残念でしたがカカオトークでいつでも話せるのでよかったです。今回の研修で色々な日本の人と出会い,色々なことを話し、お友達になれた貴重な経験になったと思います。機会があればまた広島に行きたいです。