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李賀恩

五感で語る広島研修

「写真機はいらないわ、五感を持っておいで。」

今回の広島研修を一言で話すとこうなる。事実、これは私自身が考えた言葉ではない。バンド「東京事変」の「閃光少女」と言う歌の歌詞の一つだ。しかし、これこそ他国に行って古郷とは全く違う景色、違う匂い、違う言葉が次々と私を通りすぎた事をこの心にはっきり焼き付いて来た私にぴったりなのだと思う。そして、私はそれに合わせて今回の研修の感想を五感で感じた事を中心にして語ろうと思う。

先ずは第一感、視覚である。広島国際空港から広島市内まで、約40分。ハイウエーを走るバスの窓で見たのはどこまでも青く、眩しく輝いている緑の色だった。日本は流石に韓国よりも暑かったが、そのおかげで木々は益々と成長し、鬱蒼とした森を作り上げていたのだ。勿論その景色はどこでも見れる普通の景色だった。だが、始めて広島へ来た私を迎てくれた始めての景色だっので、もっと脳裏にはっきりと残ったのかも知れない。そしてもう一つは、平和公園で見た爆心地や、博物館で展示されていた原爆を受け建物の破片、民間人が着用していた服や時計等だった。そこで私は、もうこの世にどんな形の戦争や争いもあってはならないと思うようになった。そして、そこで出会った広島女学院の友達とも戦争が残した痛みや被害者達の悲しみについて話す内に、すっかり仲よくなっていて、とてもいい時間を過ごす事が出来た。

次は第二感、聴覚である。聴覚はやはり、マツダミュージアムである。何故かと言うと、見学で見た実際の工場で車を作る時、機械が騒がしく動きながら車を組み立てる時の、あの固い音が今での耳から離れないからだ。元々、私はこの目で確認してないものにはあまり興味を持たない性格だったので、車と言ったら外見以外には興味が無かった。機械好きな私の父が車について話す時も表面上では理解しているフリをしているだけで、一体何が面白いのかについて疑問を持っていたままだった。だが、車が組み立てられるその音で、ふと、分かってしまったのだ。父はきっとこの不思議ながらもかっこいい音に憧れていたのに違いないと。   第三感、嗅覚は随分と悩んだが、宮島に決める事にした。宮島へ行く船ではずっと海の特有の匂いがしたからである。太陽が土の上の全てを照し、燃やす中で海を見るのはあまり好みではなかったが、短い間でも離れる事のないその新鮮な感覚は、暑さで疲れていた私を疲労から少しずつ解放してくれていた。そう、あまりのも久し振りに感じる涼しい海の匂いだった。

少しずつ解放してくれていた。そう、あまりのも久し振りに感じる涼しい海の匂いだった。   第四感、味覚。これはもう多過ぎて何を選べばいいのか分からなくなるくらいだ。しかし強いて選ぶとしたら、茶道である。茶道は研修に参加する前に韓国であった日本語のキャンプで一度体験した事があった。厳粛で節制された行動、その中で生まれる日本だけが持つ特別な雰囲気のティータイム。膝を折るのは少し辛かったけど、何となく雰囲気に圧倒された私は、膝を折ったまま固まってしまった。抹茶を飲む前に出されたお菓子のおかげで体が柔らかくなっので耐えられない位ではなかったけれど。とても甘かったお菓子の後には茶道のハイライトである抹茶が出された。抹茶は思った通りにそんなに苦くはなかった。その後、抹茶の味を緑茶にミルクとアメリカーノを適当に混ぜた感じだと勝手に思い込んでしまったのはまた後の話である。

 第五感、触覚。けん玉体験である。個人的にはこれが一番面白かったと言いたい。勿論これも前に参加した日本語のキャンプで体験したものだった。その時はけん玉の原理も、面白さも知らずに只々やっているだけだった。私はまたそうなる事を想像し、ちょっと内気になっていた。それに、私は手の動きが素早い方ではなかったので心配していたが、気を楽に、力強く玉を振るうよりも、落ち着いてリズムを感じながら振るう事が大切と言う事を気付いた私は、前よりも純粋に、素直な気持で参加する事が出来た。そのためだったのか、実力も上がった。それがとても嬉しかった私は、本格的にけん玉に興味を持つようになった。韓国に帰った今も、暇あるごとにけん玉をやっている。もっと、自分の可能性について前向きに思うようになれたのである。   とても暑かった夏の広島。しかしその中で私は、掛け替えのない思い出を作る事が出来た。日に焼けてしまったのも、大事にしていた服が汗でびしょびしょになったのも、宿所でみんなとお風呂に入って楽しく話し合ったのも、みんなに夜更けまで怖い話を聞かせてあげたのも、全部忘れられない思い出である。   毎年、夏が戻って来たら、この五感を揺さぶった暑く、そして清らかな思い出を私はきっと、思い出すであろう。

金叡志

実は今回の日本研修は、私の初めての日本ではなかったので、日本文化を新しく感じられると言う期待はしていなかった。だけど私が努力してもらう何かの褒賞だと思うと嬉しいとは思っていた。 だけど、意外と新しい体験ができた。 特に、広島女学院の生徒たちとの交流は未だにちゃんと私の記憶に残っている。また、日本の学生たちがどれだけK-popに興味があるのかを感じられた。そして、お互いの放課後の勉強を知るきっかけにもなった。思った以上に自由な関係と雰囲気の中で自立的な勉強をしていたところに凄く驚いた。 「多くの学生たちが、塾も通わないのに進学をめざいてるんだ」 と、思い、私も韓国に戻ってはこんな自立的な勉強をするってひ独りで誓ったこともあった。 また、交流会が終わった次の日にも、会えるように出てくれた人たちもいて、幸せな気分になった。 広島原爆博物管と平和記念公園では、広島の痛い歴史を関節的だと言え、感じることができた。 博物館の内容の中では「黒い雨」を一番に思い出す。 原発のせいで広島全域に黒いあまが降り、その雨を濡れた人は皆死んでしまったと言う話が、今でも私の脳裏の奥に残っている。 第二世界大戦を止める方法の一つである原発のせいで日本広島に住んでいた人たちの命が奪われてすごく悲しかった。 「日本がした行動のお返し」だと思っている人もあるけれども、それは本人だけに与えられる事であり、他の日本人の命の価値がなくなるわけではないと言い返したかった。 最後には私が発表したテーマである、ナーサイングホームを書きたいと思う。 初めてそこを見るとまるで「今、私はホテルにいるんじゃないかな」と勘違いするほど施設が良かった。 色んな体験が出来るシステムで、韓国のシステムと比べながら見るきっかけになった。 そして、そこにいる途中「私の曾祖母もここにいたら幸せだろうな」と思い涙が出そうにもなった。 ちょっと離れている、自分の将来のことについて思うようにもなって、親とも話が出来てうれしかった。

許誠峻

今月の一日から五日まで4泊5日間広島研修旅行に行ってきました。今まで日本旅行をしたことは多いですが、研修としてほかの学生たちと一緒に行くのは今度が初めてで、期待する一方心配もしていました。  今度の研修で一番記憶に残るのは日本の学生たちとの交流会でした。私は日本の高校に入学するのを目標としていて、日本の学校は韓国の学校とどれが似ていて、どれが違うかについて知りたかったです。そういうわけで、交流会と広島女子学院訪問は大きな助けになったと思います。  二番目で記憶に残るのは、マツダミュージアムでした。私は自動車についてはあまり関心がなく、知っていることもほとんどないので日本の自動車会社と言えばトヨタやホンダぐらいしか知らなかったんですけど、今度の見学でマツダと言う会社について初めて学ぶことができました。ミュージアムの職員の方の親切な説明を聞きながら、自動車がどう作られるか、マツダはどんな会社であるかについても詳しく勉強しました。

三番目で記憶に残るのは茶道の体験でした。私が通っていた小学校では毎年茶道の教育を行って、私も茶道について少しながら学んだことがありますけど、ちゃんとした茶道を体験してみるのは今度が初めてでした。茶道を学ぶ間ずっとしゃがんでいるのが誠に辛かったんですが、それでも日本の茶道についてしっかり学ぶことができて嬉しかったです。

最後に記憶に残るのは放送局でした。最初に「中国放送」と書いてある感じだけを見て中華人民共和国の放送ではないかと誤解しましたが、その中国ではなく日本の中国地方であるという話を聞いてちょっとびっくりしました。そこを見学しながら実際の放送がどう行われているのかについての説明を聞いて、放送局で働いている人々を尊敬するようになりました。去年まで学校で放送部員として活動したことがありましたが、放送局の姿を実際見たのは今度が初めてでした。  今度の広島研修はとっても楽しかったです。いつか機会があれば、家族と一緒に広島にもう一度来てみたいとおもいます。そのときは今度の研修で行けなかった広島のほかの観光地や名所を訪れてみたいです。最後に、私たちを引率してくださった先生たちと、広島で私たちを助けて下さった方々にもう一度感謝申し上げます。誠にありがとうございました。

辛周洪

五日間の大事なご縁

数年間の準備を終えて、念願の日本研修に行ってきました。楽しみにしていた研修であっただけ、研修の日を待つことさえ苦しかったです。研修に行ってきて感じたことを文で全部表現するのは容易ではないですが、日本での幸せだった日々を思い出しながら研修旅行の体験記を書いてみたいと思います。  研修に行った友達とぎこちなさを感じながら広島空港に着きました。入国審査を終えると、広島国際交流センターの皆さんが「本当に良く来てくれました」と書いているプラカードを持って嬉しく迎てくれました。歓待を受けながら入国して、本当に嬉しいし、これからの旅行に期待を持つことが出来ました。そうして、引率者さんの案内を受けながら広島での研修旅行が始まりました。専用のバスに乗って、皆と話しながら、市内を観光して、楽しく旅行しました。4泊5日の間、沢山の経験をしましたが、その中でも最も記憶に残る思い出を話したいと思います。

最初の日の夜に広島青少年文化センターの前庭でバーベキューパーティをしました。肉、ソーセージ、おにぎり等を焼いて食べましたが、この時食べたおにぎりの味を忘れることはないです。肉を食べながら一緒にいた日本の方とも話して、本当に良い時間を過ごしました。特に、在日韓国人の方と話をしたことが記憶に残ります。私の質問にも優しく答えて下さって、本当に楽しかったです。次の日はRCC中国放送局を見学しました。見学を終えて放送局の関係者さん達と、テーブルを囲んで一緒に日本の弁当を食べながら、お互いに自己紹介をして、歌も歌いながら、とても楽しかったです。何よりも、隣で日本の方と話しながら食事をしたのが楽しかったです。次に、広島平和公園に行きました。私達は広島女学院の学生達の案内を受けながら原爆資料館を見学しました。資料館を見学しながら学生達と話しもして、楽しい時間を過ごしました。後には、広島女学院に行って、各自で準備したお菓子を出して一緒に食べながら交流を持ち、学生達の案内で学校も見物しました。長い間、願っていた日本の学生との交流であっただけ、私にとっては本当に幸せでした。三日目には縮景園に行きました。日本の伝統的な庭園を見物しましたが、景色がとても美しかったです。そして茶道の体験もしました。着物姿の方々が一つ一つお茶を注いで下さり、私たちが直接お茶を注ぎながら、有益で面白い経験をしました。私にお茶を注いで下さる時に、お辞儀をして下さって、少し驚きましたが、日本人の礼儀にもう一度感嘆しました。お茶を飲む前に、茶碗を回しながら茶碗に描かれている絵を楽しんだ後にお茶を飲むことも忘れはしません。次はけん玉の工場に行って、けん玉作りの工程を見学し、またけん玉の体験させて貰いました。けん玉が楽しくなったころに、次の場所へ移動をすることになり、もう少ししていたいなと少し残念に思いました。けれど、引率の方が私達にけん玉をプレゼントして下さり、本当に嬉しかったです。次は「ソレイユ」というショッピングモールで買い物をしました。そこで、とても大事な経験をしました。書店に行って店員さんに助けて貰いましたが、とても親切で親身に対応してくれました。私は韓国から来ましたと話すと、その店員さんの娘さんが以前、韓国で親切にしてもらったらしく話が盛り上がりました。この方のおかげで、日本人に対しての印象がもっと良くなりました。本当に最高の思い出です。四日目、午前の日程を終えて、ビアガーデンで、美味しい食べ物を食べました。そこで、名字に同じ漢字を使う方に出会いました。家族以外に同じ漢字を使っている方に会ったことがなかっので、驚いたし、嬉しかったです。その後、素敵な公演も見て、楽しい時間を過ごしました。そして、研修旅行で最も面白かったのは一緒に行った友達との時間です。最初はお互いぎこちなくて、仲よくできるか心配もしましたが、すぐに打ち解け、毎晩数人私の部屋に集まって、部屋の電気を切ったまま怖い話もして、窓から見える広島の夜景も見ながら楽しく遊びました。私は一緒に行った友達の中で、最年長で数少ない男だったので、友達にとっては話しにくい存在だったかもしれません。ですが、皆とても優しくしてくれて感謝の気持ちでいっぱいです。そんな友達と過ごした時間がとても大事で、恋しいです。最後に、私達の面倒を見て下さった広島国際交流センターの皆さんに感謝します。おかげさまで、研修旅行の間、気楽で安全に旅行をすることが出来ました。そして、私達が夜に花火をしたいとしつこく言うと、サプライズで花火セットを買って下さって嬉しかったです。おかげさまで友達と楽しく遊べることが出来ました 。

高校3年生の夏休みに、日本へ研修旅行に行くと言ったら、周りに「大学入学試験の勉強はどうして旅行に行くの?」と結構言われましたが、私にとってはこの研修旅行が大学入学試験よりもっと重要でした。研修旅行に行ってから、感じた事ですが、今度の研修旅行に行かなかったら、一生後悔することに間違いないです。この旅行のおかげで、日本で留学したい私の気持が固くなりました。そして、今度の旅行を通して沢山の人との縁が出来ました。必ず、日本に留学に行って、また広島に行って広島国際交流センターの皆さんに感謝の気持を伝えたいと思います。そして、また広島の夜景を見たいです。