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5泊6日間の日本 - 林潤鎬 (LIM YUN HO)

8月4日
私は生まれて初めて日本を訪れました。今まで海外旅行には何度か行ったことはありましたが、日本に行くのは初めてで、何度も目にしたことのある空港の風景さえ、これまでとは全く違うもののように感じられるほど、私は今回の研修を楽しみにしていました。

オリエンテーションの時、今の広島はものすごく暑いから準備をしっかりとしてくるように、と言われましたが、実際のところは、台風のせいか、韓国とにったりよったりの気温でした。

胸に期待を膨らませながら、私たちは夕食を食べるために移動しました。移動中にも、窓から見える日本語で書かれた看板を見ては、「今、本当に日本に来ているんだなあ」と思いながら、これからの予定に期待はどんどん膨らんでいきました。

私たちは、小谷というところで食事をすることにしましたが、飛行機の中で機内食を取っていたせいか、四人しか食べませんでした。私たちは、カレーやラーメン、そして親子丼を注文しました。どれも私にとって一度も食べたことのなかった味で、とてもおいしかったです。カレーはカレーでも韓国のものとは違って味に深みがありました。ラーメンもまた、韓国のものとは違い、辛くなくすっきりした味でした。そして、その中でも最も記憶に残っているのは、親子丼です。味は勿論、とてもおいしかったのですが、それよりも食べているときに聞いた親子丼の名前の由来が強烈に印象に残りました。食事をした後、私たちは広島青少年国際交流センターに到着しました。そこで簡単なオリエンテーションをしてから、明日の日程のこともあり、すぐに就寝になりました。

8月5日
待ちに待った日本での初めての朝。誰かが起こしてくれたわけでもないのに、朝早くに目が覚め、朝から宿舎の周りをあちこちを見て回りました。センターが山の上にあったので、窓から広がるすばらしい景色を見ることができました。ソウルとは違い、高い建物もなく、おかげで晴れた青空がずっと遠く先まで続いているのが見えて、すっきりとしたとても心地よい気分でした。朝食は、普通のお弁当でしたが、それを食べること自体も初めてだったので、同じように見えても韓国のものとは全く違うものもあり驚きました。中でも卵焼きにはびっくりさせられました。韓国の卵焼きは普通、塩を入れてちょっと塩辛い味になっているのに比べ、日本の卵焼きは砂糖が入っているのか甘かったです。

私たちは、簡単に朝食を済ませ、センターをバックに簡単な写真撮影をした後、8時ごろバスに乗りセンターを出発しました。そして、私たちの向かった先は、広島のあるお城です。原爆の被害を受けてすべて壊れてしまい、復旧したものだそうです。しかし、それでもその大きさや、壊れた破片を集めて作ったかのように古く歴史あるものと感じさせるようなやや黒ずんだ木の屋根などをみると、一度壊れてもう一度復旧したとは思えないほど完成度の高いものでした。何より韓国の宮殿やお城のように低い建物が広がっているのではなく、上に積んだようなとても高い建物が、私にとってとても新鮮でした。時間はあまりなく、長く見学することはできませんでしたが、とてもいい記念になりま
した。
今度は、お好み焼きソースで有名なオタフクソースの工場に行きました。移動中、韓国のドキュメンタリー番組でしか見たことのなかった日本家屋のような家に夢中になって写真を撮ったりしていたら、すぐに到着しました。工場見学自体が初めてであった私にとって、すべて機械で自動化されている光景が大変目新しかったです。驚いたのは、製造の過程ばかりか、箱に入れて配達するまでの工程をすべて機械がやっていたことです。最後には、できたばかりのオタフクソースをお土産にいただきました。そして、お好み焼きも試食してみましたが、たこ焼きや他の食べ物のように甘い味などもなく、特にこれという味は感じられませんでした。でも、オタフクソースは、韓国のトンカツソースと味が似ていて、とてもおいしかったです。もし作り方さえわかって、それが簡単なら、家で作ってみるのもありかな、と思うほどおいしかったです。

昼食は、うどんを食べました。韓国で食べたうどんとさほど違いは感じませんでしたが、カレーうどんを初めて見てとても不思議でした。どんな味がするのか気になりましたが、もし口に合わなかったらどうしようと、普通のうどうんを食べました。注文したら目の前で麺をゆでてくれることや、食べたいてんぷらを直接選んでから、最後にうどんと一緒に勘定するのが韓国のシステムと違い、「国が違うと、こんな小さなことまで違うんだな」と思いました。

昼御飯を食べた後、私たちは日本の自動車会社のひとつである「マツダ」のミュージアムに行きました。ここもまた全部機械で自動化されていましたが、細かい組み立てなどはまだ人がやっていました。日本でも指を折りの大企業だと聞いて「凄いな」とは思っていましたが、見学の後、窓から見える港や百貨店ぐらいの大きさの船を案内員さんが指差しながら、それがマツダ専用の船と港だと聞き、その規模に圧倒されました。他にも今までマツダが開発した機種も見ましたが、マツダを設立された方が赤が好きだったのか、赤い色の車が多いという印象を受けました。

そして、夕方には三時間くらいショッピングを楽しみました。百貨店みたいな構造のショッピングセンターでは、服や食べ物だけでなく、本からゲームセンターまで色々な店が総合的に集まっていて楽しかったです。

8月6日
8月6日は原爆が広島に投下された日で、私たちは平和公園で開かれる平和記念式典に参加しました。そして平和公園の隣にある原爆資料館にも行って、当時の現場の被爆者たちの悲惨さのこもった写真や崩れた建物の欠片などを見て、これは人類が決して使ってはいけないものだと感じま
した。
その後、私たちはタクシーに乗って放送局のRCCに行きました。今回の移動は、バスではなくタクシーでした。タクシーに乗るためにドアを開けようとしたら、ドアが自動で開いて本当にびっくりしました。また韓国とは違う一面を発見できました。放送局の見学は韓国でも一度経験したことがありましたが、それとは比べものにならないほど、奥まで入れていただき、撮影に使ってるセットやカメラに実際に触れることもできました。最後に、放送局の方たちが取材をしたいということで、簡単なインタビューを受けて、本当に貴重な時間を過ごすことができました。

次に私たちが体験したのは、茶道です。慣れない姿勢に足がしびれてしまいました。また抹茶はとても苦かったですが、それなりの深い味がありおいしかったです。茶道の体験は、意外とすぐに終わってしまいましたが、日本の文化を体験する良い機会に恵まれて嬉しかったです。それから、ガイドさんと一緒に中庭を散歩しました。木がたくさんあってとても広い庭で、中に池がありましたが、その池は淡水と海水がうまく混ざっていて、鯉やカニ、カメが一緒に住んでいてとても不思議でした。庭の中には、原爆に耐えて生き残ている木もあり、自然の生命力の強さにも驚きました。

8月7日
広島に原爆が落ちた日も過ぎ、木曜日になりました。私たちはこの日、広島女学院高等学校で開催されるピースフォーラムに参加しました。この日は、それぞれ決められたテーマについて、各校から来た生徒たちの意見を聞き、平和維持の為にどうすればいいのか討論しました。アメリカから来た生徒もいて、発表は英語で進められました。日本語の外来語表記を見ると、日本人は英語の発音が良くないのではないか、と勝手に思っていましたが、実際、日本の生徒たちの発表を聞いてみると、アメリカ人と比べても遜色がないほど綺麗で正確な発音でした。

フォーラムが終わるころは、もう日がほぼ暮れていました。私たちはバスで移動し、今度はお好み焼きを食べに行きました。自分で直接お好み焼きを作って、自分が作ったお好み焼きを食べる。韓国にはないスタイルでした。オタフクの工場で見た通りに、相当なキャベツを入れたので、全部食べきれるのかなと思っていましたが、完成すると思ったより小さくなりました。キャベツが中身の半分くらいだったはずなのに、キャベツの味もしなくて野菜が嫌いな人でも食べれそうな印象を受けました。もちろんお好み焼きの味は絶品でした。作り方はちょっと複雑でしたが、家に帰ってからも自分で作ってみたいと思いました。

8月8日
日本に来たのが昨日のように思えましたが、気付いてみたら、実際の旅行の日としては最後の日になってしましました。この日は雨が降っていました。

私たちはバスと船に乗って宮島に行きました。日本に来る前のオリエンテーションでも聞いていましたが、本当に鹿が自由に歩き回っている姿を見て不思議でした。そして、私たちはまず水族館に行きました。朝早かったので、ちょうどペンギンたちに魚の餌をやる姿を見ることができました。そこで驚いたのは、動物にも好き嫌いがあるということでした。ペンギンの場合、硬い骨の多い魚は嫌いだそうで、その話はとても興味深かったです。水族館を後にして、私たちは厳島神社に行きました。

日本に来る前にネットで調べてきて、個人的には海に浮かんでいるような神社や鳥居を期待していましたが、時間が合わずに、潮が引いているときにの見学になってしまいました。期待した海の上の神社や鳥居ではありませんでしたが、潮が引いたときにしか見られない鳥居の一番下の部分も見ることができて、特別なものを見れたという気分で、これはこれでよかったと思いました。厳島神社ではお守りも買いました。今年の一年は、もう半年過ぎてしまいましたが、残りの半年間、悪いことが起きないように願い
ました。
それから私たちはメリーハウス八千代に行きました。ここでは夕食を取ったり、そこのおじいさんやおばあさん方も参加して、一緒にビンゴゲームを楽しみました。景品ももらいました。食事の中に、韓国のお餅の一つであるインジョルミのようなものがありましたが、これはお餅ではなくこんにゃくを使っていて、不思議な味がしました。理事長が、韓国人だったので、日本と韓国の食べ物を組み合わせたのでしょうか。それとも、もともと日本にある食べ物だったんでしょうか。食感がお餅とは違い、慣れなかったせいかちょっと口に合いませんでした。

夕方には宿所に戻って、広島青少年国際交流センターの皆さんと広島女学院高等学校の皆さんへ感謝の手紙を書きました。何を書けばいいのか悩んでいると、色々とこれまでしていただいたことをたくさん思い出し、皆さんのお気遣いに改めて気付く事ができ、感謝の気持ちでいっぱいになり、少し嬉しかったです。

8月9日
五泊六日の日本研修、最期の日になりました。
今日は飛行機に乗って韓国に帰るために、私たちは朝早くから起きて空港に向かいました。飛行機のチェックインの列に立って自分の番を待ちながら、この六日間、思い起こしてみると本当に色々なことを学んだり体験したりできて、本当に貴重な時間になったことをしみじみと感じました。日本についてもっと興味を持つようにもなりましたし、いつか日本にもう一度来てみたいという小さな夢もできました。

有意義な夏休み歩 - 金河旼 (KIM HA MIN)

私は今回韓日協会が主催した広島研修旅行に行ってきた。大会に参加したのは ’一度やってみようかな’という気持ちだったのに、私は最優勝という成績を収めた。なんとなくいい成績を取って、なんとなく研修旅行に行くことになった。何が何なのか最初はちょっと分からなかったが、最後にはうれしかった。
旅行に必要なすべては韓日協会から用意してくれたおかげで旅行に行く前の日まで私はのんきだった。
一日目は月曜で、旅行に行く日だったのに、まだまだ実感が沸かなかった。航空に到着して、お母さんと別れの挨拶をして飛行機に乗った。広島に着くと、センターから迎えに来てくださった方たちが’広島へようこそ‘というプラカードを持って歓迎してくださった。この方たちは5泊6日間わたしたちの世話を焼いてくださった、ありがたき方々だ。
夜遅く日本についたので、私たちが5泊6日間泊まる‘広島青少年センター‘に向かった。
二日目の夜が明けた。寝床が変わったからか、自然と早く目が覚めた。
この日に寄ったところは3ヶ所で、最初は日本で一番たくさん消費されるソースメーカ ‘オタフク’の工場を見学した。オタフクの設立背景とソースを作るまでの苦労、お好み焼きに関わったいろいろなものを見た。そしてお好み焼きソースをお土産にもらった。
次ぎに寄ったところは日本の自動車メーカのマツダの本社を訪ねた。簡単な説明ビデオを見てから館内見学を始めた。最後に市内でショッピングをして日程が終了された。
三日目は8月6日で、原爆が投下された日だ。式典を見るために平和公園に向かった。雨の日だったのにもかかわらず、たくさんの人が集まっていた。
ボランテイアの子供たちは供花用の花を、大人たちは原爆に関するパンフレットを配っていた。
私たちは原爆が投下された時間、8時15分まで待った。時間になると、式典が始まった。追慕の演説と、黙然をした。その瞬間は公園が静かになった。犠牲者たちのために追慕をしたり祈ったり、することを大々的に見たことがあまりなかったのですごく印象的たった。辛い過去を忘れずにずっと思うことが、未来に同じことを繰り返さないための肥やしだと、強く感じた。
しきでんが終わった後、私たちは韓国人慰霊碑にいって、原爆のときに亡くなった先祖の方たちに供花をした。慣れない他国に来て、原爆という災難の中で亡くな出家たことを思って胸が痛んだ。
次は原爆資料館に行って原爆の危険性と、あの時な残酷な光景を見た。原爆だけじゃなく、すべての災難は起きてはならないと思った。資料館見学後、RCCという放送局に向かった。正直に私は、ここに着いてから腰が痛くてよく見なかった。
RCCを見てから、縮景園という日本庭園で茶道の体験をした。抹茶は最初は苦かったけど、すごくさっぱりしておいしかった。
四日目は一日中広島女学院で行われるピースフォーラムに参加した。私はこの日、3ページぐらいの長いプレゼンテーションを頼まれて、朝から少し緊張していた。この日はみんな自分の学校の制服を着て女学院に向かった。
ピースフォーラムが行われる講堂に行くと、沖縄、ハワイなどさまざまな国や地域から来た学生たちが集まっていた。韓国では平和のためにこんなフォーラムを開くことも見たことも、聞いたこともなかったので、すごく新鮮だった。平和のための演説と講義を聴いて、各学校の平和教育についてプレゼンテーションを聞いた。日本の子達は多くが集団的自衛権について発表したけど、それについて全く知らなかったのでいろいろ考えるきっかけになった。
そして私も韓国の平和教育と南北分担について発表した。これから日本の子達が韓国についていろいろ知ってほしいと思った。
発表が終わっていろんな学校の子供たちと混じってディスカッションをした。じつはディスカッションというより親睦会といく感じだったけど、同世帯の違う国の子供たちと話すことができてうれしかった。

五日目はわたしの調子がよくなかった。腰痛と微熱があったからだ。とにかく、この日は宮島にある神社と水族館にたずねた。宮島には鹿がみちをじゆうにあるきまわっていた。私はそれが一番面白かった。
お昼を食べてから急に悪くなった体の調子のまま、韓国の方かけいえいする療養施設 ‘八千代‘に行った。そこで理事長からいろいろいい話を聞いた。この後、病院見学と理事長との食事が予定だったが、私はおなかが痛くてだめだった。広島青少年センターからずっと私たちに付き添ってくれた方たちが私を八千代と連携している病院い連れて行って、診察して、部屋で休ませてくれた。本当に申し訳なく、あの時気が気じゃなかったからまともに礼をいえなかったことが残念だ。
とにかく、こうして広島研修が終わった。家を離れて生活するのも、ただの観光じゃない目的を持って行動するのも大変だったがとても有意義な研修だった。私の人生でわざと広島に行ったり、式典を見たり、ピースフォーラムに参加したりする機会がまたあるだろうか。一生ないだろう。センターから私たちの世話をしてくださった皆さんと、そこで会ったすべての皆さんに‘ありがとうございました’といいたい。

広島での忘れない六日間国 - 朴仁慧 (PARK IN HYE))

私は韓日協会が主催した日本語の大会で受賞して6日間の広島研修に参加することが出来たハムジ高校3年の朴仁慧と申します。私は広島研修での経験、思い出をここに書きたいと思います。
8月4日、大邱から仁川空港まで行くため、朝9時から家を出ました。汽車でソウル駅まで行き、そこでまた空港列車に乗り換え、無事に仁川空港に着くことが出来ました。そこでみんなが集まり、手続きをして広島空港への飛行機に乗りました。その日は風が強かったのか、雨が激しく降っていたのか広島近所で急に飛行機が激しくゆれたり傾いたりしてすごく怖い思いもしましたが、無事に広島空港に到着することができました。また手続きをして出たとき、一番に見えたのが私達を歓迎してくださってる姿をみて本当に感動しました。そして本当に日本に、広島に来たんだと思いました。着いたころはもう遅い時間だったのですぐセンターに向かいましたが、バスの窓から見える看板などが私がいまいるところが日本だといくことを実感させました。
そして8月5日、朝にちょっと時間に余裕があって広島城に行くことが出来ました。前にも日本に来たことはありましたが、日本の城をバスの窓ではなく直にみることは始めてだったので楽しかったです。その後は予定通りオタフクに行きました。そこで私達はお好み焼きソースが作られる過程をみることが出来、プレゼントとしてオタフクのお好み焼きソースも貰えました。その後、オタフクの歴史、お好み焼きの歴史を知ることが出来ました。そして広島風のお好み焼きも試食しました。特にオタフクの歴史をしる中で原爆が戦争がなくさせたのはただの命だけではなく、経済的な基盤になる店や工場さえ無くさせたということを私は再認識しました。そしてそのような中で立ち上がって、初めからやり直して、ただ自分為だけじゃなく広島の住民達と一緒に元の元気を戻そうという努力がすごく感動的で、すごいと思いました。この思いはオタフクの工場だけではなく、オタフクと同様に原爆で全てをなくしたのにまた立ち上がったまつだのミュージアム見学でも感じることが出来ました。今の広島は昔原爆が落とされたとは思えないほど元気な所に思えましたが、それらも全部、厳しい状況であるのに諦めず頑張り続けたオタフクやまつだのような方々のおかげなのだと思いました。
次の日は平和公園での式典がありました。激しい雨で、すごい人波で驚きました。そのせいで多少疲れましたが、逆にそんなに多くの人達が平和を祈っていると思い嬉しかったです。その後に原爆資料館で原爆と戦争の被害をみて原爆と戦争はなくなるべきだともっと強く感じることができました。その後はRCCに行きました。最初に予定表をもらってネットで検索して見たとき、「中国放送」と書いてあったので「何で日本まで来て中国の放送局に行くのだろう」と思いましたが、その中国は山口や広島、鳥取などの地域を示す言葉だと知ったときちょっと恥ずかしくもなりました。RCCで韓国でもしてみたことのない放送局の見学ができ、スタジオで写真を撮ったり、高いカメラやラジオの録音現場も見ることができて楽しかったです。そして私の地元である大邱と広島が姉妹都市ということ、大邱MBCとRCCとの姉妹縁組みをしてると聞いたとき、私と地元と広島が深く関わってると知って驚き、嬉しくなりました。そして縮景園で茶道体験をしました。私は運が良くじゃんけんで勝つことが出来、目の前でじきじきにいれてくださったお茶を飲むことが出来ました。ちょっと苦さもありましたがその中の言葉で表現できない深さがあってすごいと思いました。そして縮景園の中を散策する事ができました。
8月7日には広島女学院でピース・フォーラムがありました。ドラマやアニメて見たようなきれいで広い学校でした。女学院の皆さんと他の学校からの方々みんなきれいで親切で嬉しかったです。平和について日本人が思うこと、アメリカ人が思うことを知ることができ、今までちゃんと分かっていなかった日本の憲法改定にも詳しく知ることが出来ました。それに関する深い情報、それに関する日本人の意見を聞けました。なによりも楽しかったのは生徒たちとの交流でした。私は高校三年生なので朝から夜まで勉強だけの、ただ大学ためだけの時間を過ごしていますが、日本の生徒たちの部活や夢などを聞いて羨ましいとも思いました。この日の晩御飯はお好み焼きでしたが、自分で作るので普段料理が出来ない私はすごく緊張しましたが最高に完璧に出来て嬉しかったです。
そして8月8日、9日は朝に韓国に帰るので実質最後の広島でした。宮島に行って一番最初に水族館に行きました。そこでペンギンのごはんを食べる所とか、アシカたちの可愛いくてすごい所も見ることができました。水族館の記念品店で人目惚れして買ってしまった可愛い子供のエンペラーペンギンの人形は今も学校で勉強で疲れたとき癒しになってくれています。そして厳島神社に行って、願いを願う所で五円を投げて「大学とご縁がありますように」と願いました。他の高3も同じような願いをしたそうで「やはり高3だな」と笑いました。やはり高3なので学問のお守りも買いました。おみくじもしてみようとも思いましたが凶とか大凶とか出たら立ちなおることが出来なさそうでやめました。その後、宮島から戻りメリィハウス八千代にいってカンインス理事長の話などを聞けて有益な時間を贈り、メリィハウスの中もいろいろ見て回り、色んな所に座ってもみました。そして晩御飯の時間にビアガーデンがあり、その中にビンゴゲームがあって、私は運良く結構早めに終わったので魔法瓶を貰えました。実は他にも良さそうなものが多くありましたが韓国に持って帰ることが出来ないと思って小さな魔法瓶にしました。その後、皆さんに挨拶をし、センターでの最後の夜を向かえました。そして翌日私達は無事に韓国に戻ることができました。
6日間の時間は私の一生忘れられない思い出に残る筈です。広島は私にとって私の地元と姉妹のところ、平和をもう一度考えさせてくれた所、原爆の被害でかつてほぼ全てがなくなったが人達の努力と思いで立ち直ったすごい所、親切な方々が沢山だった所として残る筈です。広島の親切だった方々、女学院や他の学院の優しかった生徒たち、私達を招いてくださった方々に心からありがとうございますと伝えたいと思います。またいつか必ず広島に行こうと思います。最後まで読んでくださってありがとうございます。